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『筆まめVer.28限定』スペシャル年賀状デザイン “日本三大友禅” とは?

[第3回]
“加賀友禅らしさ” とは? その歴史や特徴について聞く

2017年9月発売の『筆まめVer.28』は、「日本三大友禅」の絵柄をデザインに取り入れたスペシャル年賀状が使えるのが特徴。そのデザインの元となった友禅染のルーツを探る旅として第1回と第2回は京友禅を取り上げたが、今回からは2回にわたり加賀友禅の魅力を紹介する。京都で生まれた友禅染がいつどのようにして加賀へ伝わったのか、加賀の歴史や風土が加賀友禅の発展にどのような影響を与え、どのような作品が生まれたのか。今回は加賀染振興協会事務局長の中川聖士さんにお話を伺った。

宮崎友禅斎が伝え、武家が支えて発展した加賀友禅

江戸時代中期に京都から加賀へ伝わったといわれる友禅染。それ以前の加賀の染色事情はどのようなものだったのだろうか。「加賀の国には、昔から梅の木の皮などを煮込んだ汁で染める『梅染』という単色染めの技法がありました。時代とともに『色絵紋』などの模様染めの技法も確立しました」と中川さん。つまり、加賀友禅が生まれる土壌はすでにこの土地にあったと言えるのだ。

そこへ新風を吹き込んだのが、京都の友禅染で一世を風靡した宮崎友禅斎。「友禅斎の生まれは京都、金沢、能登など諸説ありますが、晩年加賀へ移り住み、加賀藩お抱えの紺屋棟取・太郎田屋のもとに身を寄せたと言われています。浅野川、犀川など水資源の豊富な加賀は、“水の芸術” と呼ばれる友禅染に適した土地柄で、友禅斎はこの地でも独自の大胆なデザインや意匠を広めました。」

友禅染の発展を支援したのが当時加賀藩を治めていた前田家。「前田家は外様大名だったため、戦いの配備など表向きは将軍に従順な姿勢を見せていました。一方で百万石といわれる財力を、友禅染などの文化の充実のために惜しみなく投資。外交時の手土産にも友禅染の染軸を持参することがあったようです。」

近代に入ってからも加賀友禅の伝統は受け継がれ、多くの名匠が数々の芸術的な作品を制作。1975(昭和50)年には伝統的工芸品に認定され、落款による作家登録制度が確立された。現在は加賀友禅ブランドとして、全国で知られている。

30年近く加賀友禅の振興のために尽力してきた中川さん。

北陸の風土と武家文化が育んだ加賀友禅独自の色柄

宮崎友禅斎が広めた同じ友禅染でも、育った土地によって個性が表れるのが面白いところ。「加賀友禅でよく使われるのが、藍・臙脂(えんじ)・黄土(おうど)・草・古代紫の “加賀五彩” と呼ばれる落ち着いた色調です。曇り空の多い北陸地方で日常的に見られる色彩ですね。また、この渋い色合いが武家好みなんですよね。」
北陸の気候と質実剛健な武家の気風が、加賀友禅の落ち着きがありつつも優美な作風に大きく影響を与えたのである。

「本来、日本の着物はその行事、儀式によって意味をもって着るもの。その用途によってさまざまな種類の着物、それに合わせた柄の着物を揃えたんです。」
加賀友禅には、シックな加賀五彩を多色使いし花鳥風月などの自然を写実的に描いた、まるで絵画のような作品が多い。自然をそのまま取り込むという精神から、虫が食った葉や変色した病葉(わくらば)もあえて描く。この「虫喰い」の表現がデザインのポイントにもなっている。

装飾を施さず、染めだけで表現するのも加賀友禅の特徴だ。「加賀友禅では刺繍や金箔などの加飾はあまりしません。染めだけで立体的に表現するために、“ぼかし” の技法が多く用いられます。どんな作品にもグラデーションがかかっています。」
作家によっても異なるが、一般的に加賀友禅では外側から内側に向かってぼかす “外ぼかし” が多いと言われている(京友禅は内ぼかし)。

「一つの絵として額に入れてもいいような作品が多いですね」と中川さん。加賀友禅は、加賀の歴史や風土が育てた芸術作品ともいえるだろう。

加賀友禅では写実的な花のモチーフが好んで描かれる。写真右中央の白い花の葉の部分が “虫喰い” の表現。

文/クエストルーム

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