ホーム>筆まめでぃあ>『筆まめ』スペシャルデザイン “日本三大友禅” とは?>[第1回]伝統工芸士・五代 田畑喜八さんに聞く “京友禅” シェアツイート

『筆まめVer.28限定』スペシャル年賀状デザイン “日本三大友禅” とは?

[第1回]
伝統工芸士・五代 田畑喜八さんに聞く
“京友禅”

1枚の着物に描かれる芸術作品ともいえる友禅染の世界。下絵に沿って糊で線を描き、隣り合う色同士がにじまないようにする技法で、絵画のような模様を鮮やかに染め分ける伝統的工芸品だ。2017年9月発売の『筆まめVer.28』は、そんな「日本三大友禅」の絵柄を取り入れたスペシャルデザイン年賀状が使えるのが特徴だ。そこで全7回にわたり、京都・金沢・東京と三大友禅の産地で行った撮影や取材の様子をレポートする。第1回は、現代京友禅の頂点に立つ伝統工芸士・五代 田畑喜八さんにお話を伺った。

友禅染の源流は京都。多くの職人が加賀、江戸に移って技術を競い合った

訪れたのは、大学で日本画を習得し1995(平成7)年に文政時代から続く田畑喜八の名跡を五代目として継承、現在は京都手描友禅協同組合顧問、日本伝統工芸士会会長の要職にある伝統工芸士・五代 田畑喜八さんの工房。京友禅の起源について伺った。

「友禅染の起源は、元禄時代の絵師・宮崎友禅斎が京都で始めたとされています。だから友禅染そのものは、京都オリジナルの技術だったんです。そして京都で修行を積んだ職人たちが、商人や武家の招きによって加賀や江戸へと赴いて、それぞれの土地でオリジナリティを深めていったんですね」(五代 田畑喜八さん)

かつて関西地方(京都)、北陸地方(加賀)、関東地方(江戸)では、染料や水質の違いによって友禅染に用いる技法が異なっており、それが各地方の特徴となった。今でこそ科学技術の進歩でその差異は無くなってきたものの、当時はその土地の水質の違いがそのまま作風の違いとなって表れていたと、五代 田畑喜八さんは続ける。

「加賀友禅は、“加賀五彩” といわれる配色や独特のぼかしの技術を生み出しました。そういう意味では、京友禅には特徴といえる特徴はありません。当時の都でしたから、全国からさまざまな人が集まって、各人の好みで友禅を作らせたわけです。だから京友禅は全方位に対応する幅広いものになったんでしょう。」

友禅染発祥の地である京都から多くの職人たちが依頼主の求めに応じ、各地域で昇華していった技術が、現在の日本三大友禅の源流となったのだろう。

代々伝わる膨大な見本帳や染見本に囲まれた工房。五代 田畑喜八さんは新しい友禅をここで生み出し続けている。

五代 田畑喜八さんのこだわりの技術とは? 変化し続ける伝統技術

「友禅染という技術が一般に認識されたのは実は近年のことで、1965(昭和40)年に伝統産業振興法が制定されてからなんです。伝統産業として国が『友禅染』として認めてからですから」。国が伝統産業として認定した頃には、すでに「京友禅」「加賀友禅」「東京手描友禅」という三大友禅と、厳密にいえば「名古屋友禅」を含めて4つの友禅染めの流れは確立され、各々特徴を持っていたという。

「それまでは “模様染め” と呼ばれていたんです。我々は “染物師” です。ひとりひとり職人が独自の技術を編み出して特徴としていた。私の工房では、代々受け継がれた色見本や文様見本が膨大にあります。代々の田畑喜八作品の特徴は染色の際に炭火を使うというものでして、今も茶道の家元が使っておられる高級な炭を使い、独特の深みを出す方法を守り続けています」

種々様々な独自の技術を競い合って依頼主に喜んでもらう染物を追求し、その総称として友禅染と呼ぶように。やがて各地の武家や豪商たちが京都から職人を呼び寄せて、その土地ならではの友禅へと発展していく。そこには脈々と続く技術の追求と創意工夫の歴史が見てとれる。五代 田畑喜八さんも、新たな挑戦、新たな作品への意欲に満ちている。友禅は時代と共に変化し続けるのである。

「今の夢はね、百人一首をテーマとして友禅のシリーズを完成させること。単純に100作品だから壮大な仕事になるんだけれど、それに向かってまだまだ勉強ですね」と、五代 田畑喜八さんは笑う。

次回は、京友禅作家・黒島敏さんの工房を訪れた様子をレポートする。

友禅は数多くの専門的な職人の手が多数加わって完成する。写真は、京友禅作家・黒島敏さんの作品。次号で工房を訪れた様子をレポートする。

文/クエストルーム

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