ホーム>筆まめでぃあ>上方落語家 桂吉坊「伊藤若冲」を語る!>[第1回]ご隠居の凄まじき集中力! 庭の鶏を描き続けた伊藤若冲 シェアツイート

若冲を年賀状に!!上方落語家 桂吉坊「伊藤若冲」を語る!

[第1回]
ご隠居の凄まじき集中力!
庭の鶏を描き続けた伊藤若冲

年賀状作成ソフト『筆まめVer.27』の目玉は、今年、生誕300年で一大ブームとなった “奇跡の絵師” 伊藤若冲の絵画が使えること。 2017年の干支は「酉(とり)」だが、若冲が生涯を通じて描き続けた画題こそが「鶏(にわとり)」なのだ。そこで本連載では、芸能に造詣が深く「若冲ファン」という上方落語家 桂吉坊さんに、『筆まめ』で使用できる若冲作品について、その背景とともに語っていただく。第1回は、「雪中雄鶏図」を取り上げる。

PROFILE

桂吉坊(かつら きちぼう)上方落語家

桂吉坊(かつら きちぼう)
上方落語家

1981年、兵庫県生まれ。1999年、桂吉朝門下に弟子入りし、三代目 桂米朝の内弟子として修行。2011年、大阪市「咲くやこの花賞」大衆芸能部門受賞。歌舞伎、能楽、文楽などに造詣が深い。著書に芸界の大御所との対談集『桂吉坊がきく藝』(ちくま文庫)。

時代が伊藤若冲を育んだ

伊藤若冲の活躍していた江戸中期といえば、我々の始祖であるプロの噺家がぼちぼち出始めた時代なんです。当時は皆、別に本職があって、たまたま芸事が好きという理由だけで、先輩の芸人に弟子入りするという、きわめて素人と玄人の境目がはっきりしない時代だったみたいです。
この時代の特徴として感じるのは、鎖国をしていたことが多くの日本独自の文化を深めて行ったんだと思います。ちょっとしか外国が見えていない時代だからこそ、逆に自由で大らかな発想が社会全体で許されていたような時代だったと想像します。

お大尽(※1)と呼べる粋な旦那が明治の初期まではたくさん存在していて、落語にも様々なお大尽が登場します。そういうタニマチやお大尽と呼ばれる人々が、能や狂言、若冲たちの絵画や我々の落語、そして歌舞伎など、今の日本の伝統芸能といわれる文化を大いに深めたのではないかと感じます。当時の庶民の暮らしも、朝から昼過ぎまでは仕事して、その後は風呂屋に行ったり、芝居や寄席に遊びに行くという大らかな時代。伊藤若冲も、そういう時代を生きていたのだと思います。落語家として、この時代にはとても憧れます。

「雪中雄鶏図」は削る芸術の対極の姿

本作はまだ若冲が家業を勤めていた三十代前半ごろと最初期の作品だが、雪中に餌を求める鶏の鮮やかさと緻密さ、雪の積もる竹の描写がみごと。

伊藤若冲:雪中雄鶏図 細見美術館蔵
(C)Artefactory/Hosomi Museum/OADIS

さて、その若冲が好んで描いた鶏ですが、この「雪中雄鶏図」は、リアルだけど、大いなる誇張でもあるわけです。羽根や竹、それらに積もる雪の細部には、デフォルメされた迫力がみなぎっています。仙厓(※2)のような筆一本でさらっと描く、いわゆる “削る芸術” の対極にあるのが、若冲の魅力だと強く感じます。

落語という芸能も、極端に削る文化ではあるのですが、それらとは全く違う方向の芸術性を伊藤若冲のこの絵には感じます。当時の人々は四十歳あたりで隠居をしていましたでしょうし、若冲もそうだった。「けんげしゃ茶屋」(※3)という落語に登場するご隠居さんが印象的で面白い、社会システムとしてそういう存在を認める大らかさのあった時代だった。
日がな一日、ただひたすら庭の鶏を穴があくほど観察し、芸術性の極めて高い作品を、根を詰めて描き続けられた環境だったのだと思いますが、とはいえその集中力には尊敬すら感じますね。この作品はまだ若冲が三十代前半のものですが、すでにその集中力の片鱗が垣間見えます。

この絵のモチーフでもある鶏でいいますと、故桂米朝の師匠である四代目 桂米團治(※4)が、近所でヒヨコを買って来て緑色に染めて遊んでいたというエピソードがあって、昔のヒヨコや鶏って、なにかそういうユーモラスな生き物としても存在していたのだと思いますね。そしてこのリアル過ぎる奇抜さという完成度は、さすがに江戸時代の作品らしく、正しく傾(かぶ)いているなぁと感心します。
(桂吉坊談)

※1 お大尽(おだいじん) お金を湯水のように使って遊里などで豪遊する旦那衆。江戸期には芸術家や役者を金銭的に庇護する人々をもこう呼んだ。

※2 仙厓 仙厓義梵(せんがいぎぼん 1750~1837)。江戸時代の禅僧にして画家。シンプルな禅画が近年、「ゆるふわ」だと話題を呼んだ。

※3 けんげしゃ茶屋 上方落語における茶屋噺のひとつ。縁起を担ぐ人のことを、古い大阪ことばで「けんげしゃ」という。

※4 四代目桂米團治 1896~1951。明治時代に活躍した上方落語家。故三代目の桂米朝の師匠。

次回は、伊藤若冲が暮らした江戸中期の文化に注目。江戸が人口100万人に達し世界最大の都市となった時代、京都にも40万人近い人口が暮らしていたといわれるが、いったいそこにはどんな文化が花開いていたのか? 若冲作品『群鶏図』とともに、吉坊さんが紐解く!

文/クエストルーム

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