ホーム>筆まめでぃあ>拝見! レトロ年賀状コレクション>[第2回]大正~昭和初期のレトロ年賀状はアイデアの宝庫! シェアツイート

拝見! レトロ年賀状コレクション

[第2回]
大正~昭和初期のレトロ年賀状は
アイデアの宝庫!

知る人ぞ知る年賀状博士・高尾均さんの貴重なレトロ年賀状コレクションから、“これは!”というものを選りすぐってご紹介する本連載。今回は、大正時代から昭和初期のムーブメント、「年賀状交換会」なるものを中心に花開いた、センス満点の年賀状コレクションを中心にご紹介!

PROFILE

高尾均年賀マーケティングアドバイザー

1949年生まれ。京都にて長年、印刷業を営んだのち、国内トップの年賀状印刷メーカーに勤務するなど35年以上、年賀状ビジネスにかかわる。年賀状イノベーション研究会のメンバー。

まさに年賀状道楽! 趣向を凝らした「年賀状交換会」の作品たち

今回のトップ画像で高尾さんが手にしているのは明治45(1912)年、つまり大正元年の年賀状だ。セットで手に入れたものだそうで、このころになると石版多色刷りで作られた絵はがきになっている。
「日本の年賀状絵はがきがもっとも美しかったのは、間違いなくこのころだと思います」と高尾さん。大正に入ると、女性や子どもたちの間でも年賀はがきをやりとりする習慣が定着し、一気に年賀状が多様化していく。

さて、そのなかでも特に注目したいのが「年賀状交換会」なるムーブメントだ。「田中緑紅(たなかりょくこう)という方が主催した会が始まりで、大正の終わりから昭和の開戦前まで、年賀状を趣味とする100人くらいの好事家たちが集まった」(高尾)そうで、田中緑紅は京都に暮らしていたが、やがて大阪、名古屋、東京と全国に広まっていった。趣向を凝らした作品が多く、現代ならば、パソコンを駆使してどんな作品を生み出されるのかと想像が広がる。

大正15(1925)年に出された田中緑紅の最初の交換会の作品。「年賀状交換会」の代表作として知られる。「これは石版印刷ではなく、木版です。絵師、彫り師、刷り師に頼んで、最初の作品だけにかなりこだわって作られています」(高尾)

こちらは昭和8(1933)年に出された「年賀状交換会」の作品。上は、画像では分かりづらいが貼り絵になっている。下は迷路になっていて、3つの入り口から辿ると、「賀正」などの文字や干支の「酉(とり)」の図が浮かび上がる。

漫画をあしらった年賀状から当時の社会風俗を垣間見る!

大正から昭和にかけての年賀状のムーブメントでさらに興味深いのは、絵はがきの流行だ。大正に入ると年賀状・絵はがきを販売する店が大当たりしたそうで、かつてどこの町にもあった写真店のように、あちこちに絵はがき店があったとか。
「それくらい、当時の人たちにとって、絵はがきの年賀状を送るのが楽しかったようです。まだ新聞の写真も鮮明でなかった時代ですから、絵で何かを伝えるのが面白かったのでしょうね」(高尾)。

そんな絵はがきのなかでも面白いのが、漫画を使ったもの。単なるイラストではなく、その時代の社会風俗が垣間見られるような、風刺の効いたものが散見されて楽しい。

大正7(1918)年の絵はがき。「これは鳥居商店という大きな絵はがき店がシリーズで販売していたものなんです」(高尾)。このころから、女性の尻に敷かれる男性の風刺があるのは面白い。

この2点はともに市販の絵はがきではないが、やはり漫画的で面白い。上は昭和16(1941)年に計理士・税理士さんが出したもので、独身者の税額を職業別に表している。下は昭和7(1932)年に出版社が出したもので、干支の「猿」に何かを足すと……という風刺になっている。

こちらは年賀状作成ソフト『筆まめ』の最新版にて、デザイン編集機能「初笑い年賀状工房」で作った「漫画風年賀状」の例。

次回は、「家族写真」のコレクションをチェック。いまでは当たり前となった家族写真は、いつごろからどんな風に送られるようになったのか? お楽しみに。

文/クエストルーム

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[第1回]レトロ楽しい明治期の年賀状に、百年先も残るようなアイデアが!?